2005-09-30

 昨日はICU(国際基督教大学)の演劇を見て、今日は阿佐ヶ谷で法政大の演劇を見ました。もうICUはすごすぎるよー。なんで大学生がここまで出来ちゃうのよー。漱石の『夢十夜』をダンスで表現してるんだけど、華美・ダーク・和服の美女・シュール・エロティック・激しい身体表現、と自分が大好きな要素が盛り沢山!大学には相応しくない贅沢な巨大なステージ上で幻想的でどこか悪魔的な雰囲気を強烈にプンプン出しちゃってる。身体ってアートになるんだなぁと痺れました。感動で目もあそこも濡れた。法政は・・・ひどい。


2005-09-29

 


現在大ブームならぬマイブームになっているロクヨンに屈強な全裸男の写真が描かれたトランプを差し込んでみても何も起こらない。テレビ画面には漆黒が広がるばかりだ。


2005-09-28

 レポートを書くためにニーチェ関連の本を読み始めたら、ニーチェマジすげぇ!となって読書に熱中したいので少し日記が滞っちゃうような気がします。

季節の変わり目における人間一般の心性を目に見える形で表現したもの (動画)

実はこの映像を見て笑えるのは自分だけじゃないかとサイトの内容が徐々に身内的になってるのを反省してるのでこれからは心がけます。いろいろ。

あー!もっと哲学的なことを議論したいし話したい!


2005-09-26

 今日は何も予定が無かったので、購入した『アリーmyLOVE・プロローグ』のビデオを見た。浪人時代に深夜にやっていた最後のシリーズを見て、なんて素晴らしいドラマだろう、と感動したものだ。そのせいで受験勉強がまったくはかどらなくて、大学に行くか、アリーmyLOVEを楽しむか、という人生の岐路に立たされた。前者を優先したために現在大学にいるわけだけど、未練たらたらで今回ビデオを激安で(100円で)購入できたので、そしておそらく全シリーズを購入するので、当分は元気に生きていけるだろう。

 ビデオを見終わると暇になったので、自作の『空也セット』で空也上人のモノマネをして一日を過ごすことにした。

空也セット



あー落ち着くわぁ。


2005-09-24

 人を笑わせることは泣かせることより難しいように思う。別れや出会いというセオリーを踏襲していけばどうにか涙を誘うことはできるけど、笑わせるためにはテクニックやコツはあってもコレ!という方法はすぐには見つけられない。ということを雷ライヴという3時間にも及ぶ浅草でのお笑いライブを見て思った。出演者のほとんどが天才だと思えた。なんでここでこれをすれば笑いを誘えることを知っているんだろう!とすごく関心してしまう。披露されていく芸とネタが千差万別でいったい地上にはどれだけの笑わせ方が存在するのだろうと「笑い」の底知れない深さを思い感動してしまう。笑いの力があまりに強烈になると涙が出る。今日はひさびさに笑って泣いた。ポロポロポロポロ泣いて心が浄化されていくような幸せな心地になった。笑いすぎて泣いちゃうってのはアレくらい気持ちいい。

【上智地蔵情報】
ソフンの泉舞隊員から「地蔵が増えた」という情報と写メールが届く。
いつのまにか中央のメガネの地蔵が新メンバーとして加わっている。
いったい何者の仕業なのだろう。いや、すごくうれしい。



2005-09-23

 哲学科の友達と渋谷で飲みました@ChristonCafe。天使と悪魔が同居している教会といった雰囲気です。『天使と悪魔2005』というカクテルを飲んだり、店の雰囲気に合わない名の『ローマっ子大好きパスタ』などなどを食べました。普段こんなダークな雰囲気で飯を食べたことがなかったので(ダークと言えば『笑笑』しか思いつかない)頭がボンヤリとしてむやみに饒舌になって、天使(山田)、悪魔(田中)というカクテルを考案したり、エロくないのにエロそうな言葉しりとり(例、コンマ)なんぞをして楽しみました。学生食堂と松屋とサイゼリヤの3つで完結していた自らの食のライフスタイルにかなりの変化を及ぼした一日でした。もっといろんな店を発掘しよっと。


2005-09-22

友達の友達の映画撮影のために山梨に行ってきた。とにかく

スゲーカメラとスゲー銃とスゲー軍服(本物)とスゲー廃墟での撮影でした。


2005-09-19

 明日から急に山梨へ行くことになったので賞味期限の早いものを食べてしまわないといけなくなった。大好きな辛子明太子4切れは無理やり食べたが、にんにく(ハバネロ漬け)が大量に残り、かなり困る。およそ10個分のにんにくを食べたら頭がボーっとしてきて涙が出てきて、誰かに抱きしめてもらいたくなったんだけど、周りを見渡すとコクボくんが一匹そこにいるだけだ。


2005-09-18

 テフロン加藤というギャグを思いついたので、どんな加藤だよ!とツッコミをしてもらいたくて、いつもの人に電話したら出ないので仕方なくここに書きます。


2005-09-17

 近所のマクドナルドに行き、いつもどおりマックチキンとチーズバーガーとお水を注文する。しめて200円というこの安価なブランチを外が見えるカウンターで黙々と食べる。窓越しから見える景色は家族連れと暇な若者とハトばっかりだ。道行く人はハトの存在なんか気にしない。ハトはちょっと大きめのゴミみたいな扱いなのかもしれない。ちょっと大きめのゴミ、、、、、まるで俺みたいだな、、、、、うんなわけないだろ!!!うんなわけないって!!マックチキンとチーズバーガーを分解し、ひとつに融合し、マックチキンチーズバーガー!、、、、、とか考えながら一つ疑問に思ったことは

胸の大きな人がピシッとした服を着たときにできる真ん中の筋のようなものを一体なんと呼べばいいのかということだ。おそらく世の中の多くの男性がこれをなんと呼べばいいのか困っているはずなので考えてみたけど思いついたものと言えば、川に見立てて「おっぱい川」、音楽っぽく「性の五線紙」、それをもう少しきれいめに「ビーナスメロディー」、どうしても自分の中であれは音楽の五線紙だというイメージが離れない。のでもう少し追求し「男♪化(オトコオンプカ)」、あの五線紙を見た男は「俺、♪になってあそこに顔をウズめたい」と思うことから男を♪に変えてしまう力を持つわけで、あー俺何書いてんだろう。なんだこの日記。


2005-09-15

『Which!−シャアよ、あなたの履いているものはトランクスor半ズボン』という手作り戯曲を携えて定番の3号館534号室を借り切ってひとりで演じた。上の写真の男はガンダムでいうところの赤い彗星シャアだ。可哀想なくらい痩せていることには触れないでくれ。この戯曲のメインテーマは、いつもフォーマルなファッションのシャアがなぜこれほどまでにあられもない姿なのか、そして履いている衣類がトランクスか半ズボンか不明瞭である、という二点だ。しかしじっさい2時間半にわたって試行錯誤し演じてみたところ全然つまらないということに気づいた。

 夜、はじめて会う演劇サークルの女性と焼きうどんでディナー。たまにグサッと突き刺してくる正直な意見が心地よいだけど優しい人。良き理解者が増えてうれしいです。その後はコクボ家でロクヨンのマリオカート。
 

2005-09-14

 先日多摩川で拾ってきた石っころで、どこか殺伐とした上智大学をやさしく演出した。







いつまで耐えれるか、上智地蔵。


2005-09-12

こうやってなんのことはないコップを眺めてる。上智大学9号館カフェテリアの午後。
もう可哀想なくらいただのコップ。淡い色したプラスチックな無機物。
でも、奇跡的に、早見優が使った可能性がある。
そう考えた瞬間、このコップは 「早見優が使った可能性のあるコップ」 に化ける。
あるいは、他の上智卒業生で言えば、リサ・ステッグマイヤーでもいいし、 
ニュースキャスターの安藤優子でもいい。
ふたつ組み合わせて 「リサ・ステッグマイヤーと安藤優子が使った
可能性のあるコップ」 とも言える。でも上であげた人は比較文化学部で
違うキャンパスだし、当時9カフェが存在した可能性も低いのでその可能性は少なく、
むしろ小林麻央や最近よく出没するというクリスタルケイのコップ使用可能性
のほうが高いかもしれない。
でも井上ひさしと山田五郎という悲劇の可能性もあるから油断できない。

ということを話したら 「確かに!」 と言ってくれる女の子と結婚したい。


2005-09-10

 友人とニコタマに行ってきた。と言っても下ネタじゃなくて二子玉川のことだ。
高島屋『べジーヤ』のベジタブルスープカレー


新作動画 (上の写真を押すと再生されます)(41秒・1.3MB・WMA)
タイトル: 『撮るよ、じゃなくて取れよ』


2005-09-09

 本にはだいたい内容に脈絡があって、夢には不思議なくらい脈絡がなかったりする。けれどそうであっても夢は自分の脳内という文脈の内にある、つまり自分と密接に関係がある、ついでにそれは自分の作品みたいなものだ、という事実が好きなので、起きた時ありありと夢を覚えている場合、よくその内容メモをする。今日はドラえもんとの別れを経験できた。お別れ旅行ということで熱海に来た我々ドラえもん一行、旅館内のナイトパブの隅でドラえもんが「そろそろ月に帰るよ」と言う。吸いかけのタバコを灰皿にそっと落としシクシクと泣くキャバクラのお姉さんみたいなファッションのしずかちゃん、そして俺はドラえもんの出立という事実をこの瞬間になってやっと実感し、こみあげる涙を抑えきれない。「あんたがいなくなると寂しいよ」としずかちゃんが言う。ドラえもんは黙ってタケコプター2個を俺に手渡す。俺はドラえもんを触る。無機質な材質のはずの猫型ロボットの内に魂がフォニャフォニャフォニャ・・・

 というところで目が覚めて、ソフィアのフンに入りたいという変わった女の子に会うために大学に行ってきました。人のことについて正直に書こうとすると、えーそんなふうに思われてんのか!と、こっちがその気がなくても、すごく傷つけてしまう場合があるし、少し身内的な文章になってしまうので、嫌なんだけど、想像してた以上におもしろい人でした。良い意味でね(笑)。あーでもやっぱりあんまり書けない。遠慮してしまう。俺が着ていった第五号ポスターを印刷したTシャツを気に入ってくれたのはとてもうれしかったです。ソフンは存在理由とか目的がとても薄い、あるいは無いサークルですがまた何か連絡ください。他にもとりあえず誰でもいいので(かなり)興味がある人はどしどしメールなどしてやって下さい。


2005-09-08

 1.オス猫にセクシーなメス猫の写真を見せる
 2.オス猫、ドキッとしちゃう
 3.ドキッとしちゃたオス猫の体に「ただのエロ猫」などと書かれた紙を貼りつける
  (「おまえエロいなぁ、ちょっとメス猫の写真見たくらいでドキッとしちゃうなんてさぁ」と言いながら)

↓イメージ図


↓紙とセクシー猫写真


 というエロ猫認定面接試験活動なるものを実行しようとし、猫街として有名な谷中へ行くため日暮里に降り立った昨日。しかし残念ながら雨でお流れとなりカラオケ屋で友達の女の子に初めてヒールで顔の頬を踏んでもらって気持ちよかった昨日。
 も終わり打って変わって快晴の今日、恵比寿ガーデンプレイスにチェコ映画祭を見に行きました。『ジャッカルの時代』 というミュージカル風味の映画を見ました。ミュージカル映画というと自分はろくに多くの作品を見ていないくせに 「そんなとき踊んな!」 「そこで急に歌いだすな!」 「アホ!」 とツッコミを入れたくなるのですが、この映画はとにかくクールでロッケンロールでポップで反体制でそれがダンスと絶妙にマッチしていました。つまりミーのパッションをザワザワと刺激してくれたということです。その後マンガ喫茶に行って読んだ安野モヨコの 『花とみちばち』 もまた刺激的でした。

 ワタナベコメディスクールがまたこういうのをやるようです。一芸をプレゼンしろと言われても 「特技は好奇心でーす!」「あ、ネコの鳴きまねできまーす!」 くらいしかない自分。今回は無理かなぁ。


2005-09-07

 哲学は高尚だとか複雑だとか思われやすい。確かにそういう点はあるかもしれないけれど、無意味やたらにそう誤解されていると思う。
 もし哲学科のゼミでAさんが突然哲学者の名前の後に可愛らしさを演出する 「たん」 を付け語りだしたらどうだろうか。「私はニーチェたんの思想である永劫回帰ってのは・・・」 みたいに。そしたらBさんは 「デカルトたんのコギトは・・・」 とか言い出してCさんは 「いやいやショウペンハウワーたんはねぇ」 となり、いつのまにか教授までもが 「カントたんにとっての倫理学は・・・」 と言い出してしまい、学会でも共通になって世界共通の言語として発達していったら哲学者タンが身近な存在として理解できるようになって哲学の纏う高尚さを払拭できるのではないだろうか。

そんなふうになるわけないけどね。

今日はこんな暴風の中、友達と谷中のネコたちに遊んでもらいに行ってきます。


2005-09-06

 八月中にこのサイトのおかげで知り合うことのできた女の子からもらった村上春樹の 『風の歌を聴け』 を読み終えた。この本は中学生のころ初めて読んだんだけど今読んでみると印象が全く違っていてびっくりだ。中学時代よりもますます村上春樹の小説に出てくる主人公に共感というか自分を同一視してしまう。えーおめぇなんかが!?調子に乗るな!と言われても共感してしまうだからしょうがねぇじゃねぇかよ!。なんだかうれしくなって古本屋に行って彼の小説を5冊くらいまとめ買いした。ついでに少し前に上智の演劇サークルの人がやってた 『タバコの害について』 という一人芝居に感動していたのでチェーホフの戯曲集も買ってきた。ところが家に帰って、よし読もう、と思ったら本たちがどこにもない。どういうことだ!と記憶回路を探索し、たどり着いた場所はマック。そうだ、マックのゴミ箱にゴミと一緒に捨てちまったんだ!

まぁいいや。やっと送られてきたやずやの雪待にんにく卵黄のサンプルで我慢しよっ。

トマト


2005-09-05
第六号ポスター 『スネ毛返し』

第五号と一緒に貼りたかったんだけど台風が近づいてるんでやめました。
※メンスト・・・上智大学キャンパス内の道路
かなりの親切心だと思う。しかし実はスネ毛でもないし髪の毛でもないし眉毛でもないしヒゲでもない。しかも 「それ私のです!お願いですから返してください!」 と言ってきた人に 「ソフンに入ったら返してあげよう」 と脅迫するつもりだ。
 

2005-09-04

 『学生のためのビジネスコンテスト』というの滋賀の立命館からはるばるやってきた友達と観覧してきました。小田急線参宮橋。

 簡単に言うと大学生たちが最近低迷しているマクドナルドをいかに盛りかえすか、をプレゼンするバトルみたいなものです。もーみんな輝いてる!ビジネスって創造的な営みなんだなぁと感動しちゃいました。あーそこに焦点を当てるんだぁ!とかうわぁなるほどねぇと心の中で感嘆しまくりの3時間でした。自分もなにかビジネスっぽいことしたい。

 というわけでとりあえず第五号ポスター『music by yourself』をTシャツにプリントしてみることにした。これをいつか売るんです。

 フェロモン香水について

2005-09-03

 冷たい飲み物を入れたコップに纏わりつく水滴はコップの中身がしみ出たものなのだ、と2年前まで信じていた。だからアイスコーヒーの入ったコップに付く水滴はコーヒー臭いはずだ!と思っていた。俺がそうなんだから、きっと文系の学生の中には未だに俺のように信じている人がいるんじゃないかとすごく心配なので言っておきます。あれはコップが冷たいので周りの空気が冷えて水滴化してるんですよ。だからあの水滴は別に汚くはないんですよ。

 


 CMとかコピーに少し興味があるので、『広告批評』 という雑誌は家にコロコロ転がっているんだけど、今日は初めて 『ブレーン』 を買ってみました。この雑誌は広告批評と比べるとすごく匂いがいいです。ページをめくりクンクンすると新しい教科書の匂いがして小学生時代を思い出し、ついでに小学4年生のころ、好きだった女の子に体育シューズが入った袋でぶたれてすごく気持ちよかったあの日を思い出します。夜はこの雑誌をクンクンしながら過ごしたいと思います。



 『物質文明と私(ぶっしつぶんめいとわたくし)』という新しいコンテンツを作りました。



2005-09-02

 「俺は塾の講師になりてぇんだ!アンコと遊んでるわけにはいかねぇんだ!」 というわけで現在アルバイトをしている和菓子屋に 「わたしは子供たちに猫の鳴き真似とか教えたいから和菓子屋やめます!」 と言いにいった。そしたら思いっきり和菓子で殴られた。アスファルトの床に叩きつけられた。そして俺の口と尻、いやおよそ穴という穴にアンコが詰められていく。丁寧に丁寧にアンコが詰められていく。俺の意識は薄れ、脳内では奇妙な電子音が断続的に流れ出した。俺とアンコは次第に馴染み、俺は和菓子それ自体となった。
 感覚器官を奪われた俺(和菓子)は世界を知覚することができない。しかし意識だけは明瞭に働いている。しかし意識自身が何に対する意識なのかを意識できないでいるために激しい混乱状態に陥っている。死にたい、と思う。事物には感覚などはない。つまり俺(和菓子)の存在は矛盾している。俺(和菓子)は初めて神の存在を意識した。いや、違う、神がいてほしいと思わずにはいられなかった。俺(和菓子)は闇にいる。闇は正確には黒色ではなく形容することがひどく難しい。俺(和菓子)は死んだのか?いや生きている!死というものが意識することを完全に忘却した世界認識のことだとしたら、俺(和菓子)は未だに生きている!しかしどの段階で生きているんだ!認識の差異が膨大な認識の量を生み出すとしたら、和菓子(俺)はいまどの認識に生きているのだ!


みたいな感じになったらどうしようーー!
とおそるおそる和菓子屋のドアを開けた。
「やめたいです」「うんいいよ」
うわぁ即答じゃん。
案ずるより生むが易し、ってか。


2005-09-01

 トウキオに帰ってきた。31日夜は中野でお笑いライヴを見、鳥居みゆきの狂人っぷりを堪能し、そのままソフィアのフン阿佐ヶ谷支部(コクボくんち)に行った。つくづく阿佐ヶ谷に引っ越したいと思う一方、いま自分の家(JR王子駅付近)の周辺にいる女子高生を見れなくなったとしたら、目の保養ができなくなって、目の病気にかかることは必至なので、なかなか引っ越せずにいる。阿佐ヶ谷支部では早舩氏が合流し、コクボくんが魚肉ソーセージを股間に突き立て、それを俺がくわえたり、舐めたり、噛み切ったりしてみました。あ、俺、まんざらでもない、と思いました。

八月に撮りためた写真を少しずつアップしていきたいと思っています。まずはこれ。


おそらく日本一の美女猫 『モモちゃん』 ↑クリック! 

−私がオス猫なら完全に恋しています!!!−   あるメス猫評論家より
 いままで数々のメス猫を見てきましたし、知っていますが、彼女は極上です。端正な顔立ち、両目の間隔、耳の角度、鼻の色、しなやかなスタイルつまりはくびれ、そして指先に至るまでメス猫の持ちうるすべての美の要素を兼ね備えた猫でしょう。極上の猫はその蠱惑的魅力でもって、見るものをある種の催眠状態にいざないます。わたくしは一瞬、自分が人間であることを忘れ、ただただ彼女の姿に見惚れ、涎を垂れ流し、頬を赤らめ、失禁し続ける、汚らわしく卑しい野良猫となったのです。

 人間だけでなく猫もまたこんなことを言っているように思います。↓

−超かわいいんだけど!!!−  渋谷の野良猫の場合
 オレさぁ、いままでいろんな猫見てきたけどさぁ、こいつまじ最高だし!顔は、なんかあゆっぽいし、目すげーでけーし、くびれまくりだし!すげー超セクシーって感じで、オレこいつ見てっと、アソコがマジおっ立っちゃって濡れてくんの。ぜってーあいつオレのこと誘ってるし。ぜってーやべぇ。