2005-12-27



 コクボくんを召喚し、引越しの荷造りの手伝いをさせています。しかし埃まみれのファミコンが発見されて以降、マリオをやりはじめてしまい作業が中断してしまいました。全クリするまでがんばります。

 引越しなので今日で日記の更新は終了です。さようなら。また会う日まで。


2005-12-25

 少しでも世間のクリスマスムードっぷりに触れたくて、ひとりひとりの小学生に「クリスマスプレゼント何もらったの?」としつこく聞きました。「ゲームキューブのソフト!」とかそういう答えは可愛いんですが、「現金。」と答えられたときは、「え!マニーでやんすか!?だんな!」と声をあげてしまいました。

 冬季講習会も三日目になると、力の抜きどころがわかってきたのかあまり疲れなくなりました。ただどうしても夕方になると睡魔と疲れがひどくなるので、途中で手品を披露していました。

 生徒の集中力低下→先生が輪ゴムのすげー手品を披露→生徒、衝撃しかも元気回復

 手品ってすごいですねー。気持ち的には、フッ、所詮は小学生・・・ちょろいぜ、手品に驚いてやがる、俺はマジシャン先生、という感じです。いや、一番喜んでいるのは俺か。生徒のリアクションが心地いい、、、!!手品師の生きがいとかそういうのがわかったような気がします。


2005-12-24

 休憩があるとはいえ、8時間近く立ちっぱなし・しゃべりっぱなしの塾バイトを終えたのが夜11時。精も根も尽きフラフラになりながら向かった先はやはり『富士そば』だった。世間のクリスマスムードっぷりとは対照的に『富士そば』の店内では絶えず本格的な演歌が流れている。店員を除けばたった一人の店内で俺はカツ丼ともりそばを食べながら、人生のはかなさや愛の悲惨さを唄った演歌を聴いていた。これはおかしいな、と思う。こんなクリスマスイヴなんてサムシングイズロングだなぁ、と思う。いくらクリスマスがただの約束事だとしても、イヴの日に深夜独り身の男が富士そばで演歌を聞きながらたった一人でソバをズズーッと食しているのは、何かがおかしいなぁと思う。


2005-12-23

 塾で、小5の女の子に「『損』って漢字で書いてみて」と言ったら『得』と書いたので、なんか感動してしまった。「損」と言ってるのに「得」と書くなんて、なんてポジティブシンキングな小学生なのだろう。


2005-12-22



明日から地獄の冬期講習が始まります。そして家は引越しの準備でダンボールでいっぱい。もうそろそろネットを解約するのでしばらく更新ができなくなります。もうこの街ともお別れか。王子駅。


2005-12-19

 カラオケの時マイクを持つ手が邪魔だ、俺は両手を高くウニョウニョさせながら歌いたいんだ!ということで以前マイクスタンドを購入したんですが、考えてみればこれを使えばいいわけです。このノーベル賞ものの発想をさっそく試してみようと上野のカラオケ館に行きました。


えぇ!なぜか使えない、なんでなんで??変換プラグまで購入したのにどういうことなの!?とジャックを穴に差し、抜き、差し、抜き、を繰り返していたらあっというまに一時間が経ってしまって出なくてはならなくなり、極寒の東京の街のなかをトボトボと暗澹たる気持ちのまま家路に着きました。許せない。これを読んでるあなたもハンズフリーで歌いたい気持ちいっぱいですよね?この問題はぜひ早急に解決しなければ、と思っています。


2005-12-18

 ついに新居が決まりました。↓
 
 荷造りを始めだして気づいたことが、我が家には膨大な宝物(ゴミ)があるなぁということです。たった2年間しか住んでいないのに、さまざまなメモリーを宿したおびただしいグッズたち(ゴミ)がヴィレッジヴァンガードの如く雑然としていて、楽しいと言えば楽しいですが、邪魔と言えば邪魔です。

トーヨーボールというボーリング場の廃墟で拾ってきた5ゲーム無料券が150枚近くありました。もはや存在しないボーリング場の無料チケット、、、うーん、ノスタルジックですね。欲しい人あげます。


日本史メモ。浪人時代に持ち歩いていた重要事項をまとめたメモ。あのころのガムシャラでピュアな気持ちを思い出しちゃったので捨てられません。あ、でも欲しい人あげます。いないか・・・。


ポレポレという言葉に惹かれて買ってしまった参考書。やった形跡が無いです。ポレポレとか言われたら誰だって買っちゃいますよね。欲しい人あげます。

 あとは人にもらった軍服が五着、ラジコン飛行機、大人のおもちゃ、いっぱいのローション、巨大ホワイトボード、大量のフライデー、媚薬、壊れたノーパソ、壊れたラジカセ。

 誰か軍服と14型のテレビ欲しい人いませんか?


2005-12-16

 昔から街の地図を眺めるのが好きでした。現在の愛読書は何ですか?と問われれば『詳細アトラス東京23区A4』と答えます。最近も、地図上の神田川をしつこく指で辿っていくと井の頭公園に到達することを知り感動したりしています。神田川が吉祥寺までつながってた!!と驚き、会う人会う人に「神田川は吉祥寺までつながってるんだよ。」と報告しましたがみんなのリアクションは薄かったです。
 とにかく街が好きなので、いや、東京が好きなので、いまはココにはまっています。アド街ック天国の過去ログなんですが、とてもよくできています。ある程度見知った東京の街があらためて魅力的に見えてきますよ。ゆっくりゆっくり全部の街情報を見ていくつもりです。


2005-12-15

 サークル掲示板の『ソフンいれ』にソフン創刊号を5部ほど入れておくと、翌日には無くなっている。あ、誰かが持ってってくれたんだなぁとうれしく思う。が、誰かが取る瞬間を一度も見たことがないので、何か不穏なものを感じてしまう。もしかしたら俺が補充したのを見計らって学生部が根こそぎ抜き取っているという可能性が考えられわけで、もしかしたらこれまで配布した60部を全部燃やして学生部みんなで温まっていることって考えられますよね。そんなのヒドイヨ!人の一生懸命作ったフリペを燃やして!そんなの・・・でも、人を温めることができたら、ぼくは、それで、いいような気がする。それはそれで、いいんじゃないかな、って、思うかアホ!


2005-12-14


 『ワンニャン散歩術』の24頁からの切り抜きです。ルーティン化した退屈な散歩に不満を抱いている犬猫のためにジョン・コクボルタと佐藤が執筆し、ソフン出版から発刊された本です。すでに絶版ですが、発売当時は写真左の『大縄跳び』スタイルが流行しました。それの発展形が右の図の『サタデー・ニャンコ・フィーバー』というスタイルでした。他にも『子猫ちゃんだもん☆』や『鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし』を含める250種類の散歩方法が紹介されています。


2005-12-13

 短く、しかも弱小ブログ人生を送ってきた自分が言うのも生意気ですが、どうしてもこれだけは言いたいです。「基本的に読者の多くはあなたの幸せを願っていない」と。ミクシィやブログを眺めていて、「あたし、いまとっても楽しいです☆」やら「今日は彼氏とデートでめっさ楽しかったにゃん♪」とか「彼女とお台場でトキメキナイトしちゃったぜー!」とか言ってる人がいますが、そのむき出しの感情は誰に対して向けられているのでしょうか?フツーの幸福をフツーに語るのは仲の良い友達同士ならいいですが、ネットのようなプチ公共空間で、フツーの幸福を語ってどうするんですか!?何がしたいんですか!?幸福を語るならば並外れた幸福を語ってくださいよ!「最近うちの犬がよく空を飛びます!」とか「店長のミスで時給が10億になりました!」とか。恋人のことをどうしても語りたいなら、恋人との特殊なプレイについて語ってくださいよ!あなたがフツーに彼氏とデートした話なんか誰も聞きたくなくて、聞きたいのは「こんなすごい体位でヤリましたよん♪」という話です。みんなが求めてるのはあなたのフツーの幸福なんかじゃない。特殊な幸福です。それが語れないならば幸福を語るのはやめたほうがいいです。見て下さいよ、僕のホームページ、いままで「僕、幸せだよ!」みたいな文章一度でもありました?いや、あったさ!小4にときめいた、とかさぁそういうのはね。それはでも特殊な幸福じゃないっすか。戻りますが、基本的に読者はあなたの幸せを求めてません。特別、不幸を求めてもいませんが、フツーのことをフツーに語るのはぜったいに求めていないと思います。フツーのことは誰にも見せない自分だけの日記の中に書けばいいじゃないですか。フツーのことをフツーに語りフツーの人たちがフツーに眺めフツーに時がフツーに過ぎていくだけですよぉ。


2005-12-12

 「現代アート」なんて言った瞬間、うさんくさ〜いムードになりますよね。だいたいがわけがわからないからです。それなのにアートを気取っている。石と壁を配置し、これは石にエロスを持たせたんです、とか言う。それがアートか!?と。それなら俺もできちゃうよ、と多くの人が思い、現代アートはくだらないとか言われてるわけです。つまり作品それ自体の作り方がとても容易に見えるというのが、そう言われる要因の一つなんじゃないかと思います。現代アートと言ってもさまざまですが、僕の現代アート観は「日常の再解釈」というものです。というか、アートと言われるものにはそれをいつも求めています。ふだん見ている世界への認識の仕方をガラガラと崩し覆してくれるような、新しい解釈を提供してくれるものが現代アートの特徴のように思います。それは技術力よりも発想力を必要とするものであり、だからときに製作過程があまりに容易な場合だってありうるわけです。しかし発想というものが前提にあるわけで、過去のアートに比べ、メッセージ性の強いものとなっているように思います。強いメッセージ(思想)があるか、それが鑑賞者に伝わっているのか、そしてそれが鑑賞者にとって普遍性を持ちうるのか、この三つが現代アートにとって重要な要素なのではないかと思っています。それらの要素があるかないかが、現代アートかただの落書き、あるいはデザインなのかの境界なのではないかと思います。でも言い訳っぽいですが、それって僕だけの現代アート観かもしれないですよね。・・・・・・と今までずいぶん長いギャグを言ってきましたが、本題なんですが、

これは一体なんなんでしょうか?東京メトロ南北線のプラットホームの壁には飯田橋駅を始め奇妙な絵が多く見られます。今回のこの絵は王子駅のホームの壁にあったものです。僕もみなさんと同じように右のねじれた糸は陰毛(それも究極の陰毛!)だとは思いますが、左下の物体?が何を指しているのかがわかりません。そもそもこの関係が何を意味しているのか全くわかりません。いや、そもそもみなさんが思っているように本当に右の糸のようなものは陰毛なんですか?みなさんは陰毛だと言い切るでしょうが、僕は納得がいきません。


2005-12-10

 『早い誕生日』 男・女

男 「今日はごめんね、忙しいのにわざわざ僕の誕生日祝ってくれるなんて。」
女 「いいよいいいよ、一年に一回だし」
男 「ホントありがとう。こんな豪華な食事用意してくれるなんて。」
女 「大変だったのよー。急に誕生日だなんて言うんだから。」
男 「ごめんごめん」
女 「でも、これって1日早い誕生日なんだっけ?」
男 「ん?」
女 「今日じゃないんでしょ?誕生日。ホントは明日だっけ?」
男 「ううん」
女 「え?じゃあ何日早い誕生日なの?」
男 「十ヶ月」

女、巨大なハリセンで男をはたく。

女 「でも、あなたのこと好き」
男 「俺も」 (口と鼻から血を出しながら)

−終わり−


 近所のレンタルビデオ屋が「旧作100円レンタル」という衝撃的なキャンペーンを始めたのでさっそくDVDとCDを含め15本ほど借りてきました。だいたいがアリーマイラブです。これでしばらくは精神的に安定して暮らせそうです。下のような病的な絵を描くことも少なくなるでしょう。


2005-12-08

yubi no ******
 


今、こういう紙芝居映像を作っています。


2005-12-07

 明日から所属している映画サークルの上映会があるんですが、自分は
こういう感じの作品を出品します。ひどく拙い3分くらいの紙芝居みたいな映像です。見ると生きているのが嫌になったりイライラする可能性があります。お暇な方はぜひぜひ来てください。

12月8日 (木) 18:00〜
12月9日 (金) 18:00〜
12月10日 (土) 15:00〜
          17:00〜
入場料 300円 場所 3−248

佐藤は明日8日だけその場にいます。9日と10日は用事があるのでいません。


2005-12-04

 コント 『ペットショップ』 客・店員

〜ペットショップにて〜

 客   「わぁ、この猫かわいいですねぇ」
 店員 「これ猫じゃないです」
 客   「えぇ!」
 店員 「これ猫じゃないんですよ」
 客   「・・・じゃあこの猫みたいなのは何ですか?」
 店員 「虫です」
 客   「えぇ!どっから見ても猫なのに!?」
 店員 「虫なんです」
 客   「へぇ〜」
 店員 「猫に似た大きめの虫なんです」
 客   「虫かぁ」

 −終わり−


2005-12-03

 小学生に国語をどう教えたらいいのかなぁと考えて確立しつつある指導方法が、『演劇的読解』です。小学生レベルの国語はある程度読書をしている子供なら乗り切れるように思うんですけど、本をぜんぜん読まない子供はこちらの想像をはるかに超えて読めないです。そういう子供に小説の世界観と主人公の気持ちを想像的に読み取れるようにするために、先生が登場人物になりきって演技をするわけです。これはもはや完全に一人芝居で、生徒は教室という小さな劇場で、先生の繰り広げる公演を鑑賞します。会話が多い文章の場合には生徒も登場人物の一人となり、先生と生徒が激しくぶつかりあうこともしばしばです。もう少し具体的な方法を示すと小説の基本的な読解方法ですが、

・心情表現に着目(「うれしそうに」など)
・社会的背景・人物の性格・生活環境を理解する
・情景描写に着目(心情が情景に暗示される場合がある)

これらを完全に押さえ、立松和平の『卵洗い』の一文、

「母が大声をだした一瞬、私は喉に息を詰まらせて黙った。だが次の瞬間には溜めていたものが堪えきれなくなって嗚咽した」

を演じます。生徒の前で、先生が大声を出し、しかし息を詰まらせ、そのあと嗚咽してみせるわけです。これは演劇の素人がやるとかなりの難易度です。

しかし必ずや「演劇先生!」と呼ばれるようがんばりたいと思います。




 て、こんなの時間かかりすぎてやれないよー!


2005-12-02


看板の流用


2005-12-01

コント 『二者択一』 男2人 A、B

A 「最近・・・好きな娘できちゃったんだよねぇ」
B 「へぇ、そうなんだ。で、その娘、超ブスか超美人で言うとどっち?」
A 「・・・え?」
B 「超ブスか超美人のどっち?って言われたらどっち?」
A 「・・・ふつうかなぁ」
B 「だから!超ブスか超美人で言うとどっち?って聞いてんだよ!アホ!」
A 「その・・・二つのうちで・・・?」
B 「そう!この二つのうちだよ!」
A 「・・・じゃあ、超ブス・・・かなぁ」
B 「ふーん」
A 「こんな選択肢おかしいでしょ!」
B 「ふーん、超ブスかー」
A 「・・・・・・」
B 「ふーん」

−終わり−



自分へのクリスマスプレゼントである『ナカトジータ』を用い


『ソフィアのフン創刊号(中綴じ修正版)』を97部作りました。見ての通りとてもきれいに製本できました。製本の関係上、再びホームページからの抜粋ですがネタが2本追加されています。ぜひぜひ手に入れて読んであげてください。

 もう高田馬場の不動産情報なんてどうでもいいよ!と思ってますよね?でも今日、1Kで15帖フローリングの物件を見つけました。

10帖くらいは見慣れていましたが、15帖ともなると圧巻です。うーんイイなぁ。


2005-11-30

『都電を待つスズメ?』


 高田馬場に関する1Kと2Kの物件に関してはかなり目の肥えてきた自分ですが、物件探しは常に戦いだと思わないとまんまと敵の罠にかかってしまいます。昼下がりの午後、何気なく訪れた中堅不動産屋にミニスカの営業お姉さんがエロティックにたたずんでいた場合、かなりの確率で正常な判断ができなくなります。どんなヘボ物件、例えば畳3帖の1Kで一ヶ月の家賃250万だとしたも「あい、ぼく、けいやくします〜。おねぇた〜ん、物件の内見よりもミニスカの中身を内見させてくださ〜い。」とヨダレをだらだら垂らしながら契約してしまうことでしょう。実際、今日そうなりかけたので本当に危険でした。運命の物件を手に入れるため高田馬場ワールドにてロールプレイングゲームの主人公の如く奮闘している自分に対し、不動産屋はさまざまな趣向を凝らした錯乱攻撃を仕掛けてきます。前に勧誘電話対策を書いたのでいつか不動産屋対策を書いてみたいなぁと思います。


2005-11-29

 まいにちまいにち、高田馬場の不動産屋に通い賃貸物件を漁っています。最初は多くの物件の中から自分の好むものを見つけるのはまさに至福だったのですが、なんかだんだん疲れてきました。自分に合う完璧な物件というものが見つからないからです。もしかしたら運命の物件を見つけることは運命の人を見つけることと同じくらい大変なのではないか、と思うようにさえなりました。運命の人っているんですか?


2005-11-27



 新宿でたらふくアジア料理(食べ放題)を食した後、東京ドームでミスチルのライブを見ました。そしてマンガを書きました。ミスチルのライブの雰囲気をマンガで表すとしたら上のようになる、ということです。いや、ごめんなさい。何の関係もないです。
 ライブですが、一言で言うと「希望に満ちすぎ」だなぁと思いました。前よりもずっと愛とか平和を語る曲が多くなってると思います。もっとダークな曲が聞きたかったです。でもねーやっぱりカリスマでした。人間って人によってはこんなにも輝けるんだ!と感動感動です。


2005-11-26

 以前から、おそらく国民のほとんどが気になっていただろう 『ボーダフォンのLOVE定額は男同士でも契約可能なのか?』 という問題でしたが今日解決しました。男同士でも契約できます。ボーダフォンショップのお姉さんが「できますよ。」と答えたから間違いないです。で、当然、僕はそこで怒り狂いますよね。「え!それじゃあLOVEなんつってるけど、それってただの指定先定額じゃないですか!え、違うんですか?!なんとか言ってみなさいよ!」と言ったら「はい、そうです」ってお姉さんは答えました。確かに渡されたパンフレットをよく読んでみると 『これは事件です。いよいよ、あなたの一番好きなあの人と、思うぞんぶん、メールと通話し放題。』 というコピーです。あ、別に男同士はダメなんて書いてないわ、ほんまや!わてがアホやってん!わての早合点や!せやけど男同士の愛、めっちゃええやん!なんかようわからんけどきっとええもんやろな!わて、なんだか心がジーンとしてきたわぁ!愛ってなんやろ?愛ってほんま不思議やな!見えないのにそこにはあるんやな!わて、愛のこと考えとったらなんかフワフワしてしもたわぁ!エッチな気分やわぁ!ほな、さいなら!


2005-11-25

 ナカトジータ!

 が欲しくて欲しくてたまらないので明日買いに行きます。それじゃ、みなさん!ナカトジータ!(おやすみなさい!)


2005-11-24



 おじいちゃんは二重の意味で死んでいます。孫に欲しいものは何かと問うたおじいちゃんは当然、子供らしい解答を期待していました。しかし子供とは残酷なものです。正直に「おじいちゃんの死」と答えてしまったのです。まずこの時におじいちゃんはショックで死にました。しかしそれは同時に孫の願いを叶えてあげることにもなったのです。つまりショックによる死だけではなく、孫の願いを叶えるための愛のある死でもあったのです。四コマ目のおじいちゃんを見てください。昇天しながらも笑顔ですね。おじいちゃんはうれしいんです。


2005-11-23

シベリアンハスキーの色をしたチワワっていますよね。
よくハスキーカラーのチワワなんつって言われてる黒と白のバランスが
ハスキーに似ているチワワです。

もしかしてみなさんはハスキーとチワワが交尾した結果、
上のようなハスキーカラーのチワワが生まれたんだと思っていませんか?
もしそうだとしたら

 どんな交尾だよ!?

ってことになるじゃないですか。どんな夜だよ?!って。
あんな大型犬とあんな小型犬がどうがんばっても交尾なんかできないですよ。
象がハムスターと交尾するようなもんじゃないですか!
コクボくんがダニと交尾するようなものですよ。


2005-11-22



 今日、ウキウキしながら上智新聞を手に入れ、すぐさまバックへ仕舞いこみ、そのまま2号館の食堂へ行き、コクボくんとドキドキしながら新聞を開きました。おお、ソフンがでっかく載ってるー!やったね、もう少しで上智の学長になれるね!と共に喜びを分かち合いました。
 自分で取材に答えておいてあれですが、ただ少し誤解を招く表現としては「入部者はゼロ」は言い過ぎでした。たまに掲示板に書き込んでくれる泉舞さんとか周りの友達、まぁコクボくんも入っているといえば入ってます。でもまぁスタンスとしては「ひとりぼっち」です。
 それはともかく記者の方の文章力にはすばらしいものがあるなぁと思いました。支離滅裂な発言の数々を巧みに編集してくださり本当に感謝しています。上智新聞の方、本当にありがとうございました。


2005-11-21



 中学生のころ、友達と交換日記ならぬ交換漫画をやっていたことを思いだしました。4コマ漫画を3作品くらい書いては相方に見せるというもの。自分が書くものはほとんど下ネタで、それが悲しいことにクラス中に広まり、下ネタ人間というアイデンティティを獲得しました。あのしょっぱい中学生時代を思い描きつつ、私はこれからも漫画を書き続けて行きたいと思います。


2005-11-20


病み上がりの体で、友達と渋谷の『月の雫』に行きました。めくるめく豆腐料理たち。


あっ!あれ?!『Cut』の横にあの本が!


2005-11-19


 道路のわずかの隙間から生えているタンポポや雑草を見て 「たくましいなぁ」 と感動することはよくあるけれど、塀の隙間に埋め込まれたコンドーム自販機を見ても、「たくましいなぁ人間の欲望は。壁をぶち壊すほどに。」 と感動します。

 3年ぶりにひどい風邪をひいてしまいかなり辛いんですけど、「子供たちが待っているのだ!」という思い(イメージアップ)で塾に行きました。フラフラの状態でしたが小学生の女の子を見ると、とたんに元気になりました。


2005-11-18



 早稲田で演劇を見た後、ソフィアのフン阿佐ヶ谷支部(コクボ家)にて夜通し 『ソフィアのフン』 を綴じる作業をし始める。何度も何度も同じ工程の繰り返しで、ひどい疲労感に襲われる。深夜2時に一部冊子を入れ忘れたことに気づき、すべてが振り出しに戻る。私は、ときおり奇声を発し、ミスしたホッチキスは人差し指に刺さり、血がドクドクと流れ始めた。その血は誌面を覆うが、「かまわない」 と思うようになる。意識は闇に覆われ、世界はその不条理性を露わにし、コクボくんはいつまでも飽きることなくテレビゲームをやっていた。というのは少し誇張ですが、朝4時までに50部を作りあげました。その日さっそく、あらゆるサークルのメールボックスに 「ほれ!」 と言いながら入れました。月曜にはメンスト沿いサークル掲示板で入手できるようにします。

 とりあえず創刊号を出すことができました。内容はホームページからの抜粋ばかりですが。わざとらしいことを言いますけど、掲示板に書き込んでくださった方やホームページを見てくれてる方がいてくれたからこそ作ることができたと思っています。ありがとうございます。次回号も出せるよう楽しく生きていこうと思います。『花より男子』おもしろいなぁ。


2005-11-16



原版をカラーで作ったとしても、配布するときは白黒。あぁ。
やっと雑誌『ソフィアのフン』を作りました。書下ろしがほとんどなく
ホームページからの抜粋ばかりです。これを大量印刷しホッチキスかー。

これのために何本もコピーを書いてきたけど、とうとう締め切り。100万欲しい。


2005-11-15








 第八号ポスター 『心の底から笑ってる?』

 『野ブタ。をプロデュース』ならぬ『コクボ。をプロデュース』キャンペーンの一環として製作したポスターです。「状況的にはダメ人間、人間的には良い人間」で売り出し中のタレント・小久保洋輔を学内において認知させることが目標です。コクボくんをただの身内ネタの材料として使うだけではなく、ソフィアのフンのマスコットとして機能していくよう長期間のキャンペーンを行います。ポスターのコピーに関しては『ボードメディアごっご』をご覧ください。


2005-11-14

 家に帰ると部屋が散らかっている。とりあえず「この散らかりっぷり、ハンパねぇ!」と若者ぶってみたりしたあとで、いらないものを捨てる、を繰り返していたら、「いらない、何も捨ててしまおう!きみを探し彷徨うMYSOUL!」と歌っている自分がいたので、ひぇー!B'zのラヴファントムって掃除の曲かよ!と感動し、これはもしや!と思いグーグルで「いらない 何も捨ててしまおう 掃除」と検索したら、やっぱりいた。同じことを思いついた人たちが。人間ってすばらしいと思いませんか。


2005-11-13


みなさん、コクボくんが笑っていますよ。


2005-11-12

 うわぁ、あー、そこ?そこなの?!ええ!やめて、うわーん、もっと脱げって?ええ?もっと?まずいまずい!パンツも?!それはまずいよ!いや、チ○○を取れって!?それは無理。
 というのは上智新聞の取材を受けに行ってきた、ということです。さすがだ、と思いました。新聞の人たちは相手を丸裸にするのが巧みで、気がついたら自分は全裸でした(精神的に)。まるで才能ある人みたいにペラペラと語ってしまいすいませんホントに、と少し反省しています。最初は敵陣へ赴く気概で上智新聞編集局のドアを開けたのですが、さわやかフレンドリーピープルたちがカジュアルにおもてなしをしてくれて、まるで『和民』みたいでした。しかも学生からリアル名刺をいただくとは思ってもみなかったです。
 さすがに取材された以上はこれまでに18度くらい使ってきた言い訳も通用しないと思われるので、雑誌を作るという本来の仕事をしなきゃなぁ、とモチベーションが上がりました。



 共通語トーク(共通のテーマを持った人間同士が初対面でよくしそうなうなトーク)
 共通例:「上智生」

 A 「Bさんってどこの大学なんですか?」
 B 「あ、僕は上智大学です。」
 A 「え!上智生なんですか!」
 B 「はい。Aさんはどこの大学ですか?」
 A 「僕も上智生です!」
 AとB 「お互いソフィアン!
※1
 A 「じゃあじゃあ問題出しますよ・・・・・・メントスじゃなくて?」
 B 「メンスト!
※2
 A 「じゃあじゃあ・・・・・・図書館の?」
 B 「おばさん!
※3
 A 「じゃあじゃあ・・・・・・ヒップホップみたいな人がタバコモクモク吸ってるところは?」
 B 「8ピロ!
※4
 A 「じゃあじゃあ・・・・・・カリーと言えば?」
 B 「ウィリアム!
※5
 AとB 「豪華なカレーみたいっすよねぇ(笑)」

 ※1 ソフィアン・・・上智生の通称。上智生以外にはほとんど通用しない。
 ※2 メンスト・・・メインストリート。
 ※3 図書館のおばさん・・・図書館玄関における番人。厳格。
 ※4 8ピロ・・・8号館前ピロティ。喫煙スペース。
 ※5 ウィリアムカリー・・・元上智学長。


2005-11-10


新宿@クリストンカフェ

以前は渋谷店に行ったのですが、新宿店は8・9階のしきりをぶち壊し?天井がとても高いので開放感があります。相変らず神を適当に扱っているオシャレなお店です。哲学っぽい話、楽しかったです。


2005-11-08

 上智大学で死の哲学という授業をなさっていたアルフォンス=デーケン先生の『よく生き よく笑い よき死と出会う』という本を、授業のために購入しなければいけなくて1400円払ったんですが、そういえば東武ストアで高級辛子明太子5切れが1300円だったことを思い出し、動揺した。いくらデーケン先生の本が素晴らしいとしても辛子明太子の


2005-11-07

 コタツを出そうかどうか迷っています。万が一コタツを出した場合は出られなくなってしまい大学に行かなくなるのは必至です。
 コタツライフの前半は 「俺がコタツに入っている」 という能動的な文法で語られますが、後半からは 「俺がコタツに入れられている」 というふうに受動的になります。つまり完全にコタツに取り込まれ、というか捕り込まれてしまい蜘蛛の糸にひっかかった虫のように自らの生に見切りをつけなければなりません。マトリックスのひとつのテーマでもありますが、コタツに捕りこまれるということは、私たちが自ら作り上げてきた機械文明に支配されてしまうことと状況は同じです。
 コタツに捕りこまれること(コタツ的死)はコタツから出られなくなるので、ある意味、社会的な死と言えますが、ケースによっては、生物学的な死も覚悟しなければなりません。コタツと付き合うためにはとにかく主従関係を意識し身体を挿入することです。コタツはとかく謀反を犯しがちです。
 もしかしたらあなたはコタツ的死が気持ちいいからそれで死んでもいいやと言うかもしれません。あなたの言うことはよくわかります。「コタツとは麻薬である」と確かゲーテも言っていましたし、「コタツのえも言われぬ吸引力は美女の誘惑の如し」と武田信玄が確か言っていました。しかしコタツの中で一生を終えてしまっていいのでしょうか?どうせならこの現実世界をコタツのように変えて、その中で暖かく生きていけばいいのではないでしょうか?



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