12月

 @大学 夜回り先生で有名な水谷修さんの感動的な講演を聞いたあと、寒い寒い四ッ谷駅で長いこと早舩くんと世間話っぽいことをたしなみ、帰宅するために地下鉄に。ふと吉野家のバカバカしさを思い出し 「よし!見切りをつけるか」 という思いで行きました。吉野家・王子東店。今回は牛丼屋徹底比較をしたいと思います。


<基本セットについて>
 豚丼(並盛)+みそ汁+生卵+お新香、これで我が愛しのすき家ならば380円。しかし吉野家でこれだけを揃えようとすると510円です。量や味なんてそんな変わらない。むしろすき家のほうが少しおいしいかもな。豚丼だけじゃちょっと足りないよぉというときに注文する定番の基本セット。ここでこれだけの値段の差が出るのはちょっとまずいんじゃないかなぁ。


<メイン!豚丼(並盛)について>
 すき家280円・松屋290円・吉野家320円。すき家と松屋の豚丼にはみそ汁がつくが吉野家はつかない。それでいてこの値段の違い。そんなに豚丼の味に自信があるのか吉野家よ。

<メニューについて>
 多ければいいというわけじゃないけどすき家は豚丼ひとつにしてもいろいろなバリエーションを用意してます。トッピング+豚丼ののそれぞれの写真がメニューには掲載され値段と見た目が一目瞭然です。ハープチーズやら山菜しめじ、にんにくの茎、辛口のたれなどなど。客それぞれのさまざまなニーズ(今日は辛いものが食べたいんだけどキムチは嫌。辛口のたれなら良し!等)に応えようという意志が表われていてとても好感が持てます。特にハーブチーズはまるでおでんのニクイ仲間ちくわぶのごとく、大好きな人にとってはたまらないトッピングのひとつです。チーズがあったかい豚肉とフュージョンし絡み抱きあい愛しあい舐めあい愛撫しあい埋めあいとろ〜りと流れまくる情景はそれだけで食すものの食欲を高めオーガズムに導くがごとくです。また豚丼以外にもメニューが豊富でカレー、五目あんかけ丼、最近ではとりそぼろ丼やまぐろたたき丼などが登場し精力的にお客さんのニーズを満たそうという意志が感じられます。
 松屋に関しては、メニューやトッピングはそれほどないんだけど注目すべきはビビン丼(390円・みそ汁つき)!豚肉・キムチ・のり・目玉焼き・ごぼう、これが絶妙な比率で組み合わされまるでハルモニア・ムンディのごとく独特に洗練された美しい音楽のよう。豚肉だけじゃなぁ、ちょっとなぁというお客さんが、あ!これ(ビビン丼)なら肉とキムチや野菜がバランスよく食べられる!目玉焼きがこっちを見ているみたい!え!スプーンがついてくるの?!気が利くなぁ!このスプーンでグッシャグッシャと卵をくずしまぜまぜして・・・うわぁ!宇宙みたい!めっちゃうまーいと確実になります。実際ビビン丼は大人気でこれが松屋の重要な屋台骨の一つになっているのは間違いないでしょう。
 吉野家はメニュー少ないです。牛鉄鍋膳は名前は豪華なくせにボリュームは少なめ。カレー丼はルーが普通。レトルトみたい。ただ注目すべき最新作があって牛焼肉丼(並420円)です。「安さで勝負できなければ高級感で勝負」という考えだと思うんだけどこれはイケます!吉野家の救世主になるんじゃないかなと思っています。ただこういったファーストフードの店に求められるのは圧倒的な安さと手軽さ(もたれない・におわない等)だと思うので、牛焼肉どふぇ〜んコチジャ〜ンおもーいものが長続きするのかちょっと難しいのではないかと思います。 

<総括>
 あぁ!めんどくせぃ!なんでこんなマジメに書いてるんだよぉ!こんなの読んでおもしろいと思っていただけるのか。いったい俺は誰に向かってこれを書いてるんだろう。現在早朝5時半ですよー。ここと文献のほうのために7,8時間費やしている自分。にゃごーーー!!バカニャーーン!うーん。帰省前最後の日記が牛丼屋比較になってしまった。牛丼屋はしょっちゅう行くからつい比較してしまう。正直言うとあとこの3倍は書くことがあるんだけどね。これじゃあ足りなすぎだよね。はぁ。ただ吉野家はこのままだと本当にヤバイんじゃないかなとは思う。まぁ、宇宙から見ればどうでもいいことですが・・・。そう、どうでもいいことばかり考えてる。人生はすべてひまつぶしさ、アハハ。ラララ〜ラララ〜ラララララララ♪1時間後に名古屋に帰ります。2週間ほど更新はないです。さようなら〜。

(2004/12/22+23記)


  岩明均の『寄生獣』というマンガを読み終えました。もうホントすばらしい!これは名著だなーと思いました。考えてみたら映画の『エイリアン』とかでエイリアンがきもちわる〜く描かれて、倒すべき!死ぬべき!存在ということが当然のように了解されてるんだけど、エイリアンにとってはこちら側の人間こそ侵略者であってきもちわる〜く見えてるんだろうね。まぁ当たり前なんだけど。そもそも「敵」なんてものは本来的にはどこにも存在してないのかもしれないなぁと思う。ただただ大いなる自然があるだけ。ただただ神がポツンと佇んでいるだけ。でも人間だけが違う。人間だけがこの大いなる自然を壊そうとする。サルや熊が街に現れるのは、食料が足りないことや人間のせいで環境が変わったことが原因で生じる調整機能としての大いなる自然の摂理なのに人間はこの流れをせき止めてしまう。このマンガでは異質な生き物(寄生獣)が少しずつ人間の日常世界に侵入してきて人間を殺していく。それをみるたびに読者は 「うわぁ、ひどい生物だ」 と思うんだけど、後半に行くほど 「人間に害があるからといってその生物には生きる権利がないのか」 というテーマが浮き彫りにになってきて 「あれ?どっちが悪いんだろう。どっちが敵だったっけ?」 と味方と敵がいつのまにかすりかわってしまう。寄生獣っていうのは・・・人間?となってしまう。でも人間至上主義を(俺みたいに)やたらと非難するだけでない。街に現れるクマやサルを殺さなければいけないような人間の宿命を主人公はさんざん悩みながらもついには受け入れる。
うーん。あぁ、読み終わるとさみしいなぁ。またおもしろいマンガ探さないとなー。


 ゼミどうしよう。レポート4つ仕上げてこれまでの怠惰を勘弁してもらうか、来年再び受けるか・・・。

(2004/12/21記)
 


 冬休み突入前のバイトが終わり、疲れ果てフラフラと帰宅し就寝したのが夜8時。昼2時に起きるまでに計5つの夢を見ました。最近はかなり夢が鮮明になってきて 「なるほど〜痛いところをつくな〜」と夢の鋭さに感動しっぱなしです。現実よりも夢のほうがおもしれぇ〜!という日々が続く中で昨日、あ、今日の夢はもう「やられた〜」と急所をつくような夢でした。ひとつを取ると、夢の中で俺がネコ写真家という設定で雑誌かなにかのインタビュアーが俺にいろいろとインタビューするという夢で

 ―佐藤さんにとってネコってなんですか?
 「え?」
 ―いえ、ですから佐藤さんにとってネコとはなんでしょうか?
 「うん?え?どういう意味、その、僕にとってネコって・・・というのは?」
 ―いえ、おひとつお願いしますよ、佐藤さんにとってネコとは!みたいなね、そんな感じで。
 「うん?いや、なんだろう、僕にとってネコは・・・・・・ネコですけど・・・」
 ―は?それじゃあダメなんですよ。なにかズバッとね、かっこいいコメントを。
 「わけわかんないよ!だってさぁ、僕にとってネコはネコだもん!」
 ―落ち着いて!そういう直接的なことじゃなくて!佐藤さんにとってネコがねどういう・・
 「バカ!バカバカ!意味わかんねぇよ!なんだよあんたの言い方!複雑すぎてわけわかんねぇ!
 ―そんな・・・え、なんでこんなところで・・・

 という夢でした。夢の野郎、鋭いところ突くな〜と感動しました。他にもいろんな夢を見たんだけど、ね、人の夢聞いてもね、おもしろくないもんね。こういう自分の文章を公開するサイトはつくづく難しいな〜と思う。出来事を書く場合、それが相当おもしろくない限りやめといたほうがいいし。自分のことグダグタ書いちゃうと飽きられちゃうし。読む人全員が共有できることを書こうとすると、かえっておもしろさが薄れちゃうような気もするし。この間、ある友人とひさしぶりに会ったんだけど、もう自分のことしか話さない。自分の興味あることだけをダラダラと話しこちらに話す隙を一切与えてくれない。しかもそのことにいっこうに気づいてないようで。すごく怖い・・と思いました。もしかしたら自分もこうなってしまってはいないだろうかと思って。会話といい日記といい。自分をできるだけ客観的に把握するってことは難しいなぁ。自分のことは自分が一番わかってると思うのはたしかに一面ではそうだけどちょっと考えものかもなと思いました。うーん、これは日々意識しつづけなければな。

 あぁ、探偵になりたい。先日、ガル・エージェンシーから資料を請求して以来とっても惹かれてます。「おもちゃ屋」というバイトに片足をつっこんでからというもの、バイトにしろ将来の仕事にしろどこかしら暗部的な仕事以外は絶対考えられないなぁと思うようになりました。うーん。

(2004/12/20記)


 完全に風邪をひいてしまい横になって過ごしていたら、生まれてはじめて金縛りにあいました。高木ブーと何やら深刻な会話をした夢を見たあと、目が覚めていつもの部屋で横たわっているはずなのに身体が全く動かない。手首、頭、体、足をすごい力で押さえつけられているような感覚。声を出そうにもどういうわけか息しか出ない。しかも誰もいないはずの自室なのに奇妙な話し声や足音がどこかから聞こえてくる。叫びたいのに叫べない。声の出し方を忘れたかのような妙な感じでした。すごい!すごいすごい!これが金縛りなんだ!という変な感動と同時に、このまま殺されるのだろうかという激しい恐怖。これまでは幻覚とか幻聴とかバカバカしいな〜って思っていたんだけど、なるほど、こういうことなのかと身をもって思いました。不規則な生活とか身体が弱っているときに来るらしいね。

(2004/12/14記)


 のどが痛い。くしゃみがひどい。頭がボーっとする。なにもやる気しない。

(2004/12/13記)


 バイトの昼休み、雨がしとしと降る中、サークルKにおでんを買いに行きました。やっぱり店員さんは中国の方です。おばさん。上野はアジアの方々がホントに多いのね。
 大好物のちくわぶが見当たらないので
 
 俺 「アレ?おばさ〜ん、ちくわぶないの?」
 おばさん 「なに?ちくわ?あるよ、これね!」
 俺 「いや、おばさん、それね、ちくわなの。そうじゃなくて、ちくわぶが欲しいの」
 おばさん 「ほぉ、あぁ、あった、これね。」
 俺 「いや、それもね、ちくわ。あの〜、ちくわぶだよ、ぶが付くの」
 おばさん 「ブガツクノ?」
 俺 「うん、ぶが付くの。その右のちくわの裏にないかな〜?」
 おばさん 「ええ?あぁ、これだね!」
 俺 「いや、それもね、ちくわだと思う。」
 おばさん 「じゃあ、無いよ!」
 俺 「あ、無いんだ。すんません。」
 おばさん 「もう!」

 タマゴや大根、揚げ豆腐たちが元気づけてくれるも、ちくわぶが無いためにかなりテンションが下がる。しかもチビ太のおでんもない。泣きたくなる感情を必死で抑え、裏小道へネコを探しに。

(2004/12/12記)


 センターの受験票が届きました。試験場は東京理科大学。

 バイトの中村さん(28才)が「僕、猫のキンタマをくりくりするのが大好きなんですよ。そしたらね、猫がね、射精しましたよ。」という衝撃的な話をするので、ツボにきてしばらく笑いがとまりませんでした。SMといい、マイ・スプラッシュマウンテン12回(一日)といい、中村さんはすごいなー。

 エイリアンVSプレデター、早く見たい。

(2004/12/11記)


 夢の中にすごく小さな人がよく出てくる。彼ら?はみんなすごく小さくて、銃の使い方を教えてくれれば、ものすごい速さで空を飛んだり、借金の取立てに来たり。それもみんなおじさんばかり。なにを意味してるのかなぁ、この人たちは。

(2004/12/10記)


  再放送の『やまとなでしこ』を見るかドイツ語を受けに行くかという究極の選択に悩みに悩んだ後、堤真一や松嶋菜々子を断念し、仕方なくドイツ語に行く。あー、見たかったなぁ。うーん。夜8時、近所のパチスロ屋へ。ダメだダメだと思いながらやってしまいました、北斗の拳。結局7千円のもうけ。あーこのドキドキ。スリル!くぅ〜〜!ダメだよ!もう行っちゃダメだよ!ぜったいダメ!だって君は受験生なんだから。でも、でも勝ったあとに松屋で一番高いであろう牛カルビ焼肉定食をあんな気持ちで食べれる体験は!あぁ!うぅ!でもダメなもんはダメーーーーーーー!!!

 やすたか君と電話で話す。1月に東京に来るとか来ないとか。彼が来るのならば何か久しぶりにいたずらめいたことをしたいなぁ。鍵を壊し屋上に登ったり、ウンコって書いて折った紙飛行機を屋上から飛ばしたり、中学生の帰り道にエロ写真撒いたり、自販機に手を突っ込んだり、廃墟行ったりとかさ。そうだ!廃墟へ行こう。原くん、何らかの返事待つ!

(2004/12/9記)


 起きたら夕方4時すぎ。外はもう暗い。もう夜って感じ。確か寝たのは朝の5時だから、夜に寝て夜に起きてるような感じだね。朝と昼が消えてしまった。最近、こんなのの繰り返し。うーむ。とりあえず大学に向かい履修中止の申請をする。それから図書館で勉強。バタイユ入門を読む。極稀におとずれる知的好奇心から来る劇的な感動の連続の連続。目からウロコだよー。大好きな人ができた!って感じです。もっともっとバタイユ殿については勉強したいなと思ってます。帰りに、「前略 椎名林檎様」という本と業務用ごまドレッシングとプレステ2の「実戦パチスロ必勝法!北斗の拳」を買う。いまやってます。スロット、、、おもしろすぎる。もう二度とやらないと胸に誓っていたのに、「ヤリたい、ヤリタイ、やりたいやりたいやりまくりたい、ホールで金を使ってやりたいよー」と心ニャンニャン状態になってしまう。だいじょうぶだろうか。明日、自分はちゃんと勉強してるんだろうか。まさかスロットをやりにいってたりしないだろうか。

(2004/12/7記)


 アイデンティティー批判ということをよく考える。ゆるぎない自分なりの人生観、価値観を持ち、自分らしさを確立すること。自分はまさしく自分であるという確信を持つこと。広辞苑では「ある人の一貫性が時間的・空間的に成り立ち、それが他者や共同体からも認められていること。自己の存在証明。自我同一性」と定義されている。エリクソンは「おとな」として自立した人生を送るためにこれの確立を重要な問題と考えた。だけど、俺はこれになんとなく違和感を感じる。まだぼんやりとしか考えていないのだけれど、アイデンティティー確立ということは人間を限定された閉じた世界、理性的な世界に束縛する行為ではないだろうか。人間とは弁証法的でたえず自己を否定し超克して成長する生き物なのに。なのに、アイデンティティー達成ということは、何か「これでよし!」と自己を規定し、そこですべてを終えてしまうような行為のように思えてしょうがない。人間に完成などはあり得ないはずなのに。「おとな」とは完成体なのだろうか。子供→大人=無制限→制限なのではないだろうか。いや、もちろん世界の中での自分の立ち位置を確定することはとても重要なことだとは思う。自己を対象化、世界を相対化することで広い視野や深い洞察が可能となってくることは確かだし大事なことだとは思う。でもかえって自己を規定する営みが思想を貧弱に、また勝手に限界を作りだし、柔軟な思考をできなくしているのではないだろうか。しかも悲しいことに、そして不思議なことに「おとな」たちは柔軟な思考ができないことを何か誇りに思っているフシがある。彼らは「こども」をだましだまし殺し殺し生きてきた。彼らは「おとな」主義者であり、実は絶対主義者なんだろうなぁと思う。認識とか既存の価値とか意味、自己について一切懐疑心を持たず盲目的に絶対主義的なんです。違うかな。というか無関心か。無関心的絶対主義と呼ぼう。相対的な思考ができない。ここで相対的というのは「君は君、僕は僕」という世を厭うきらいのある低い相対主義ではなく、常に懐疑的で自らニヒリズムの地平にずんずん進んでいく積極的な相対主義のことです。言いたいことは、なにも子供に戻れ、と言ってるわけじゃないんだけど、もうちょっと制限をはずすことをしたほうがいいのではないだろうか、ということです。とりあえず第一の訓練としてはエロを相対化してください。これを即座に負的なイメージで捉えまったく反省しない人は悪い意味でもはや「おとな」です。人間の歴史とは制限と限定の歴史なんだなぁと思う。そのせいでずいぶんと失ったものも多いだろう。もうちょっと野蛮に、もうちょっとバカに、もうちょっと恍惚に、もっともっと笑い、遊び、非理性的にならなきゃだめです。どんなきれいな人だってウンコをするんだから。性をもっと解放しろって言ってるわけじゃないです。性は解放すればするほどエロくなくなっちゃうからね。

(2004/12/6記)


 夜、将来について母親と電話していたら、翌日速達で父親から手紙が来た。封筒を開けると解決策への道をレポート3枚分くらいで書いてあった。うれしい。あぁ、親!永遠の味方!そしてそしてつらい事に、いや、同時にありがたいことに永遠の敵!

(2004/12/5記)


 給料をいただきました。手渡しです。封筒をソッと開け中を覗くと、にゃにゃまんごひぇんえーん!あぁ、お金さーん!あなたはどうしてどうして、そんなにも神々しいのさー。お金さーん、僕は知ってますよ。知ってるんですよ、あなた自身に価値が内在してないことを。あなたは神じゃなくて紙であることを。だから僕はあなたをちくわぶと交換しますよー。やわらかくって噛むとソッと砕けてしまうニクいおでんの仲間、ちくわぶと。実は何からできていのるかよくわからないちくわぶと。わーいわーい。

(2004/12/4記)


 夜、池袋のジュンク堂に行きました。日本史の参考書目当てです。学参コーナーってのはやっぱり一種独特で負のオーラ的なものが漂ってたり、希望のオーラ的なものが漂っていたり若者のいろんな感情が錯綜しております。そんなオーラをかきわけていくのがヒゲを生やしたなにやら老いた大学生の佐藤なわけで、「あ、あの人なんか老いてるよ〜」「ぜったい老いてるよ!老いてるってばー!」という沈黙の視線を意識しつつ楽しみつつ参考書めぐりをしておりました。結局、参考書を買うつもりが、『バタイユ入門』を買ってしまい、あれ?と思いつつも帰路へ。王子まで徒歩でした。寒い・・冷たい・・・。



 日本史の暗記をコツコツ、CD作成をサクサクとやっていたら社長からメッセ反応があり、ブサイクがどうのこうのとか、愛とはつまり遺伝子的だとか、人間を性欲からの観点から分析したりとか、原くんはなんてセクシャルなんだろうとか、を語り合い、いまも語り合っている。社長とメッセで語り合うたびに僕が思うこと。それは、社長の原くんに対する愛です。これはどういった種類の愛なんでしょうか。僕自身、原くん専属のカメラマンとなり彼の写真を数千枚にわたり撮り続けていくうちに、ある愛に似た何かを感じ始めていたのは否めない事実です。それは何か重力的で、先験的な独特の引力・・・あるいは、そうですね、誤解を恐れず大胆に言えばエロスと言いましょうか。非常にセクシャルな何かです。原くん自身の存在が、という意味において、です。今回、原くんについての根元的な部分の研究と問い直し、遺伝子レベルにおける冷静な洞察、たまに着ている包茎セーターの分析を、研究所所長の徳野氏と長い時間をかけて行えたことは非常に有意義な体験でした。ありがとうございます。

本屋の猫

(2004/12/3記)